月刊サティ!

ブッダの瞑想と日々の修行 ~理論と実践のためのアドバイス~

   瞑想と食(1)

Aさん:早食いとドカ食いの傾向があります。それを改める目的で、ゆっくりご飯を食べるイメージトレーニングをするのは間違っていないでしょうか。また2週間に一度ぐらい断食をしています。

アドバイス:
  早食いもドカ食いも瞑想にはあまり良くありません。なぜかと言うと、どちらも消化に負担をかける食べ方だからです。良い瞑想に必要不可欠なのは意識の透明感ですが、消化に負担がかかると意識がドンヨリ濁ってボーッとした冴えない状態になりやすいのです。
  ですからなるべく消化に負担がかからないよう、ゆっくりご飯を食べるのは正解です。そのためにイメージトレーニングするのも奨励すべき良いことです。
  基本的にこの世の現象世界では、強くイメージしたものは具現化されていく法則です。この世は業の世界であり、強い意志
(チェータナー)が業を形成し、その業が具現化していく構造なのです。ですから、はっきりと自分がそうありたいというイメージを可視化させ、それが単なる絵ではなく、事実であるかのような強さで熱望したものはそうなっていくものです。自分にも他人にも世の中全体にとっても価値のある善いことを願い、そのようにイメージトレーニングすることはマルです。
  ですが、
2週間に一度の断食は少々多いのではないでしょうか。その頻度ですと、どうしても身体が飢えた状態になり、栄養を摂取して体を回復させようと食欲の反動があるからです。長期の深い断食をした場合と、短期でも断食の回数が多過ぎると、どうしても食欲に執らわれてしまい、ちょっと餓鬼道のような感じになりがちなのです。身体は本能的に何とか食べさせよう、体に栄養を入れさせようとします。その時の強烈な食欲は押さえがたい生命反応といってよいでしょう。
  ですから、断食をしようとする場合には、何のためにするのかを先ずはっきりさせておくことが大切です。心を透明に、明晰な状態にして良い瞑想をするのが本来の目的です。もし断食を解いたあと、餓鬼道のように食べてしまえば却ってマイナスになることもあり、本末転倒ということになります。
  瞑想修行のための断食の前後は、かなり制限した食事になるので、全体としてみるとかなり体は飢えた状態になっています。もし目的に適ったきれいな断食をしようというのであれば、もう少し時間をゆるやかに、
1カ月に一度くらいが適当な間隔ではないかと思います。


Bさん:けっこう瞑想時間を長く取れるので、一日一食のことが多いですがどうでしょうか。

アドバイス:
  一日一食ということになると、やはりそこで一日分の栄養を摂ることになりますね。そうすると、量も品目も多くなるのは避けられないでしょう。
  テーラヴァーダのお寺では一日一食のところがけっこうあります。朝食と昼食の間隔が短いと体に良くないからです。一日一食だと一回の食事量が多くなるので、食後の負担が大きくなりますが、この辺はその人の消化能力に関係する事柄です。消化器系が強い方と弱い方とでは展開が違ってきて当然ですね。
  もし摂食障害などメンタルな問題が何もないのであれば、一日一食でもあまり問題はありません。食べることをどう調整するか、自分に最適の栄養摂取の仕方を確立していくことです。
  良い瞑想をするには食事や体調をいかに整えるかが大前提ですから、気を配らないといけません。そもそも体調に最も大きな影響を及ぼしているのは食事のコントロールなのです。それがうまくいけば体が非常にすっきり整って、意識が明晰になる可能性が高くなります。そうなると良い瞑想ができます。
  在家であれ出家であれどんな人も、一日中パーフェクトに良い瞑想状態を維持できることはあり得ません。どれほど食事の摂り方や環境などを工夫しても、意識がボンヤリして瞑想が低下する時間帯をゼロにはできないものです。
  そこで私たちにできることは、いかにダメーシが少なく、効率の良い状態で瞑想ができるか、そのための自分流の工夫を重ねることです。その一環として、食事のコントロールは外すことのできない重要事項であり、できるだけ体調の維持管理をしていこうということになります。

Cさん:つい食欲に負けて食べ過ぎてしまうことがあります。食欲を抑える良い方法があるでしょうか。

アドバイス:
  人類の歴史は常に飢餓との戦いでした。現代でもアフリカなど飢餓によって死んでいく人が跡を絶ちません。ですから、食べられる時に食べておくことは生命を維持するためにインプットされた本能とも言えます。しかしその貪りの衝動に負けた結果、病的な肥満体や生活習慣病に苦しむ人が大勢います。もちろん意識を研ぎ澄ませていく瞑想の仕事にもダメージとなります。
  さまざまな対策がありますが、ダイエットに失敗する人がゴマンといるように、基本的に食欲のコントロールはとても難しいものです。テクニックよりもしっかりした決意、その決意を支える正しい理解が大事です。
  食べ過ぎれば瞑想中に必ず睡魔に襲われるし、中心対象の感覚も鈍くなるでしょう。なぜ満腹や過食が瞑想にはいけないのか、腹七分目腹六分目などの少食にどれだけ価値があるのか、等々を正しく理解して納得諒解がいけば食欲のコントロールに成功するでしょう。
  仏教の歴史では、肥満で大食漢だったパセーナディ大王がブッダから伝授された方法が有名です。
  王が食事をする時にブッダから授かった偈
()を唱える係の者を配置したのです。その文言は「しっかりと気をつけて、自分に応じた食事の適量を知りなさい。また節度をもって食事をとりなさい。そうすれば、苦しみは少なくなって、安らかに、長く生きることができるでしょう」という内容です。食事が終りに近づいた頃この言葉が朗々と唱えられれば、ハッとして食欲の暴発を抑えることができるでしょう。お付の者を雇うことはできないでしょうから、「食べ過ぎるな・・」と書いたポップを食卓に立てるとか、スマホの画面に表示させておいたらいかがでしょうか。
  また、仏教には「食厭想」というサマタ瞑想もあります。大食いや美食を続ければどうなるか、どう体を痛めるかを徹底的に心に焼き付けていくのです。そうすると、それが全くの自殺行為だということがよく理解されます。
  このやり方は食欲ばかりではなく、その他の欲望や抑えがたい怒りの煩悩にも応用できます。その煩悩につき従っていった時の悲惨な末路について徹底的に理解することで、それらは抑制され離れることができます。

Dさん:食事の時のサティのやり方を教えてください。

アドバイス:
  合宿の時の例をあげましょう。食事の始まりから終りまでのあらゆる動作に気づきを入れていきます。目で「見た」から始まって、箸の動き、箸に食物が触れたときに指先に感じる反動、ご飯を切る、持ち上げる、口に触れる、口に入る、噛む等々の動作に「
(箸を)取った」「伸ばした」「(ご飯に)触れた」「切った」「持ち上げた」「引いた」「(口を)開けた」「(口に
)入れた」・・・と丁寧にラベリングしながら食事をします。
  ふだんの食事ではなかなかできませんが、食べる瞑想はとてもおもしろいしサティの良い練習になります。と言うのも、座る瞑想と歩く瞑想を繰り返しているだけでは単調で飽きてしまうものですが、食べる瞑想は動作が複雑だし、身体感覚だけではなく嗅覚や味覚や視覚などバラエティ豊富なサティを入れることになり刺激的でおもしろいのです。また食物の好き嫌いなど、私たちがいかに妄想に支配されて食べる行為をしているか、新しい発見も多いので食べる瞑想を得意にしている方は少なくありません。また時間のある時には、ぜひ合宿に近い形での緻密な食事のサティにも挑戦してみてください。
  食事の時には、口の中に食べ物が入ったら、だいたいはもう連想、妄想になってしまうのが普通です。誰かと会話しながらの食事では味なんか全然分かっていないも同然でしょう。一人で食べていても、テレビを観たり、スマホを触ったり、妄想しているのですから同じです。しかるに、食べることだけに集中し、口の中に入れてからも一噛み一噛み味わって、丁寧にサティを入れ、この筋肉の感じは、衝撃感は、その食物から連想される食卓の記憶は・・とマインドフルに自覚しながら食べることがどれだけ人生のクオリティを上げるか検証してください。
  ある時の合宿で、
40代でかなり集中の良い方でしたが、レンコンを口に入れ、ガリガリと噛みました。そうしたら、レンコンの水分が口にバッと広がった。当たり前といえば当たり前なのですけれど、その人は40何年生きてきて、レンコンってこんなに水分があったのかという発見に驚きました。つまり、本当に集中してサティを入れて噛んでいたので、ガリッと噛んだときの水分の広がりに「驚き」という認知をしたのです。そして一噛み一噛み丁寧にサティを入れていたら、味が激変したと言っていました。要するに、今までこうして一つひとつきちんと認知しながら食べたことはなかったので、その時初めて経験して驚いたわけです。40何年も生きてきて。

  そうするうちに食べたものがグチャグチャになってきました。すると怖いと感じたので「怖い」とサティを入れ、それから「気持ち悪い」「その先を観たくない」という心が生まれてきました。ここのところはけっこう面白いですね。つまり、綺麗に料理された食物がグチャグチャに壊れて崩れ去っていくことに、気持ち悪い、怖い、その先を見たくないとか、存在する物に潜んでいるドゥッカ(dukkha:苦)の本質を結構感得しています。仏教では、どんな物や現象にも「無常・苦・無我」の本質が見られると考えていますが、本当に集中してそのときの一瞬一瞬の対象を観ていくとそういう方向に目が開かれていくという例ですね。


Eさん:食はそんなに大切なのですか。

アドバイス:
  心の状態、意識の状態が非常にクリアでなければ良い修行はできません。そして、心は身体の状態に決定的に条件づけられています。アビダルマでは身体は四つの要素によって作られていると説かれています。一つはカルマ、2番目は心、3番目は食物、4番目は時節なのです。
  ここで私が強調したいのは3番目の食物です。食物エネルギーが身体を形成しているのは決定的です。飢餓状態になれば痩せ細るし、過食すれば肥満体になります。小さい頃からの栄養状態、偏食の度合い、習慣や食べ方の違い等々が今の自分の身体を作ってきました。そしてその体の状態に、瞑想は支配され決定的な影響を受けるのです。このことに無自覚であれば、なぜ瞑想がうまくいかないで睡魔にやられてばかりいるのかも分からないのです。
  自分の消化能力に適した量がバランス良く摂取されれば、身体の状態は良くなり、心の状態も良くなり、その結果良い瞑想につながる可能性が高くなります。食をいい加減にして、やる気だけで何とか良い瞑想をしようというのは無謀で愚かしいと言えましょう。
  ただ、食事の摂り方は個人差が激しくかなり難しいので、試行錯誤しながら自分にとっての最適量やバランスを見出し体得していくほかありません。基本的に、栄養バランスのよい少食ができると、頭が冴えて良い瞑想ができます。そうすると今度は逆にハマるのです。さらに少食にして、この調子でいこうと。ところが、その良い調子がずっと続くということはありません。個人差はありますが、瞑想修行のみの合宿でもせいぜい一週間が限度です。身体が持たないのです。まして日常生活を送りながら、仕事をしながらということであれば、なおさら簡単ではありません。
  しかし、いろいろ試して数々の失敗を経験しながら、食材やその分量、バランス、タイミング、そして変化していく体感や体調を詳細に観察していくと、だいたい自分に向いた食事の摂り方が分かってきます。それを基本にしていくと良いのですが、絶対的な拠りどころにはならないと心得ておきましょう。
  自分にとってどんなベストフードも、いつも間違いなく最高の状態をもたらしてくれるかというと、そうではないかもしれません。たとえ完璧な食事を用意しても、あらゆる条件が日々無常に変化しているので、毎回微妙に展開が異なっていくのです。歳も取ります。この1週間元気で健康だったか。体調を崩していたか。前日に食べた物は少食だったか、大食いしたか。メンタルな影響やストレスはどうか・・・。無量無数の条件が複雑に織りなされて今の一瞬を決定しています。同じ食物が同じように消化され、同じ結果や効果をもたらす保証はないのです。高い水準、同じ水準を保とうとするのはそれほど難しいのです。



Fさん:合宿に入った場合の食事で注意することは、どんなところでしょう。

アドバイス:
  合宿では少食が基本ですので、補給を上手に摂るのが肝要です。
  夕方になると、多かれ少なかれ昼食のエネルギーが切れてきます。すると個人差はありますが、ヤル気が落ちてくるし力が抜けてくるのです。ひどい場合には、低血糖症状を起こして貧血のようになる人もいます。そこで、たいていの人は補給をします。するとだいたい
1時間過ぎ、2時間以内でエネルギーが回ってきます。
  一番速く吸収されるのは蜂蜜、果物、ジュースのような果糖類です。その次が砂糖です。それから炭水化物の粉類、麺類、原形を留めた米です。消化吸収されエネルギーに変わるまでの時間の速さはこの順番ですね。
  いろいろ工夫してエネルギーを補給すると、それが適切だった時にはその後とても良い瞑想になります。これが一般的な流れですが、人の体と食べることは様々なものと相関していますので、補給した方がいい人、しない方がいい人、実はなんとも言えないのです。最終的には、単に人のやり方を真似るのではなく、参考にしつつもいろいろ自分で試してみて、良かった場合、失敗した場合の経験を記憶しながら、工夫し、身につけていってください。
  食べる瞑想も座る瞑想も歩く瞑想も、知識が豊富になれば、経験が豊かになれば、体調が良ければ、心が安定していれば、ヤル気が高まれば、諸々の力に助けられれば、徳があり良い流れに乗れれば・・・、不思議に、自然に、修行が進んでいきます。ミャンマーの瞑想センターで食事の瞑想の最中に預流果の悟りを得た方がいるという話を聞いたこともあります。
  食べる瞬間もその他のどんな一瞬もおろそかにしないで、しっかり修行していきましょう。

(文責:編集部)

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