月刊サティ!

ブッダの瞑想と日々の修行 ~理論と実践のためのアドバイス~

   瞑想のヒント(2)

Aさん:
  私は先生の文庫本『瞑想のフシギな力。』を読んですぐに試してみたところ、それまでどうしてもやめられなかった飲酒がセーブできて休肝日が作れるようになったことにまず驚きました。それで、もう少しこの不思議な力を持つ瞑想を深めてみたいと思って参加させていただきました。
  初心者は1日10分から始めると良いということなのですが、時間の区切りをはっきりつけると瞑想の時の心身の状態を無視しているようで、なんだか中途半端な気がします。かといって、逆に何分でも良いとなると、今度はやめ時がわからなくなるという混乱が生じるように感じるのですが。


アドバイス:
  瞑想時間に関しては、原則として良い瞑想ができている時は長く続けるように心がけるのがよいでしょう。瞑想が進むのは容易なことではなく、瞑想が深まるだけのすべての条件がたまたま整った時に進むものです。めったにないチャンスを逸しないように、予定を変更してでも頑張ってみることをお勧めします。 
  反対に調子の悪い時に、質の悪い瞑想をダラダラ続けると瞑想の質が低下するし、やっていても面白くないので瞑想のモチベーションが下がってしまいます。悪い状態にサティを入れて立て直す努力をしてもまったくダメな時は中止して、再挑戦したほうがよいでしょう。ただし、なぜダメだったのか、敗因の研究はきちんとしておくべきです。上手くいかない時には必ずうまくいかない要因があるので、それをしっかり解明しておけば同じ誤ちを繰り返さないですむし、失敗の研究そのものが瞑想修行の一部だと考えましょう。
  良い瞑想ができている時の心身の状態が普段と違って感じられるのも当然です。体調がよいと心もスッキリしますが、ネガティブ妄想に巻き込まれた不善心所でどんより心が濁っていると体調が悪くなるという逆の相関性もあります。嫌な妄想で不快な体感になっている場合は、ヴィパッサナー瞑想で思考モードを離れるだけで心も体もスッキリします。通常意識と瞑想中の意識モードには本質的なギャップがあるので、その落差をゼロにするのはあり得ないでしょう。
  サマーディ状態が体験されればさらに劇的な相違が経験されるでしょう。集中が高まるにつれ変性意識状態が深まるので、そうなると瞑想の終了宣言をして通常意識にモード変換しなければなりません。サマタ瞑想ではよくあることです。
  一方、ヴィパッサナー瞑想の中心的タスクは「現在の瞬間の事実に気づく」ことです。一瞬一瞬の現実に気づく心はいくら鋭くなっても、人生に支障をきたす心配はありません。むしろ瞑想中のマインドフルネスが、普通に生活する日常モードでも機能するように、その目的のために瞑想をしていると言ってもよいくらいです。ですから、ヴィパッサナー瞑想は終了宣言する必要はなく、サティの気づく力を失わないように心がけましょうと申し上げたいですね。サティの瞑想状態を日常にも持ち込めるのが理想とも言えます。ただし六門の情報の内容が分からないほどレベルの高いサティを入れ続けては、日常生活が成り立ちません。そんな高度なサティは修行の最中にも滅多にできないのだから案ずる必要はないと思いますが・・。()
  ヴィパッサナー瞑想の練習を終了するタイミングは、集中が悪くなってサティも入らなくなり、考え事に巻き込まれることが多くなったら止め時でしょう。もしいつまでもサティが入り続けて止め時が分からないというなら、一応修行は終わりにすると言い聞かせて、そのままサティを入れながら日常生活の瞑想に移行すればよいのです。そのままマインドフルネスが維持できたら最高です。しかし明確な目的のある仕事をやりながらサティを維持するのは至難の業なので、自然に瞑想状態は破れていくでしょう。瞑想と生活を切り分けるのではなく、人生全体のどの瞬間にも「よく気をつけておれ」というブッダの教えを実践し続けられるように、できるだけサティを入れられるように努力したいものです。

  一般的な傾向を申し上げますと、クオリティの良い瞑想ができると脳が疲れません。妄想が多発している時は脳の広い領域に渡って発火しているし、ネガティブな妄想に反応して怒りのホルモンや不安のホルモンが分泌するだろうし、ストレス過剰の人と脳活動情況が同じようになっているかもしれません。しかるに良い瞑想ができていれば妄想が激減するし、集中が良くなればなるほど脳の一部分しか使われなくなるのはよく知られており、瞑想中は何もしていない時のデフォルトモード・ネットワークに酷似してくるのです。ディープなサマーディ状態に近づけば、脳波的には熟睡状態のシータ波やデルタ波も現れるので目覚めたままの熟睡効果が得られている可能性が推測されます。
  現に、瞑想がよくできる人ほど短眠型になる傾向があります。私も修行時代に、外国の寺で数多くの瞑想者に出会ってきましたが、特にレベルの高い瞑想者には睡眠時間がどのくらいかを必ず訊きました。すると深い瞑想ができる人ほど睡眠時間が短い傾向が浮き彫りになりました。一日2時間ぐらいしか寝ないお坊さんにも逢うことも珍しくありません。私自身も、瞑想が深まるにつれ短眠型になっていきました。良い瞑想ができていれば、短い睡眠でも翌日のコンデションに差し障りがないどころか、却って調子がよいと感じるでしょう。良い瞑想ができている時は、予定を変更してでも続けるべきだと考える所以です。

  良い瞑想を成り立たせている要因として、体調が決定的に大事なことも何度でも強調しておきたいですね。透明に澄みきった意識状態の時に良い瞑想ができる可能性が高く、意識の透明感を決定づけている大きな要因の一つが体調なのです。体調も意識水準も日内変動を繰り返しているので、一日の流れの中で波の上下するのをよく観察してください。身体も心も軽くて集中力が高まりやすい時と、食べ過ぎたりしてドンヨリ濁った意識状態の時では明らかに瞑想の質が違ってきます。意識が透明で頭脳明晰な時を選んで瞑想するのが賢明です。

  また、常に良い瞑想ができることなどあり得ないし、1時間でも30分でも15分でも、瞑想時間の最初から最後まで丸ごと全部集中でき、質の高い瞑想ができるなどということは考えられません。とても良い瞑想ができるのは、短い時間でしかないことが多いのです。何事も下手だから練習して上達するものです。瞑想の初心者がガンガン良い瞑想ができるなどということもまずあり得ないので、あまり過剰な期待を寄せない方がいいでしょう。眠くて妄想だらけでサティがほとんど入らなくて、これでは修行と言えないのではないか・・と疑問になるくらいが普通だと心得ておきましょう。内容が悪い練習を繰り返しながら上達していくのが王道です。毎日最低10分以上という原則を貫いていけば、必ず瞑想が身に付いていくし、人生の流れが変わります。たとえ調子が悪くても心配せず、頑張ってください。


Bさん:
  どうすれば瞑想に頑張れるでしょうか。

アドバイス:
  そうですね。良いお手本を見ること、瞑想の重要さを認識すること、苦を感じること、人間的に成長する向上心を持つこと・・などでしょうか。
  タイのお寺で毎日尊敬するお坊さんの写真を見なさいと言われたことがありました。立派なお手本に接すると俄然ヤル気が出るのは、瞑想合宿中にも頻繁に起きます。疲れた、嫌になった、ヤル気が出ない、家に帰りたい・・と意気消沈してしまった瞑想者がいました。その日の昼食が終わり、瞑想室に戻る階段のすぐ前を歩いている先輩の足の動きが鼻先にズームアップされたように見えたのです。ゆっくり、力強く、一足ひと足の感覚を実感しながら、綿密なサティを入れている迫力に圧倒されてしまったのです。思わず溜め息が洩れそうな美しさと力感に感動したそうです。この一瞥でモヤモヤは吹き飛んで、一気にヤル気が高まりました。よくある話です。
  瞑想のやり方がマニュアルとして頭に入っただけではモチベーションが伴いません。技術的に理解しただけでは続かないのです。ヴィパッサナー瞑想で心をきれいにすることが人生苦をなくしていくのにいかに重要であるか、瞑想の真の価値を認識することや仏教思想の奥深さや次元の高さに感動すると途端にヤル気が出るものです。「真理のことば・感興のことば」(岩波文庫)などを再読し感動を新たにすると瞑想をしなければ、という気持ちが高まります。
  いちばん強力で、多くの人が何度も繰り返し検証し直しているのが、苦に叩かれて瞑想に救いを求めるケースです。人生が苦しくなり、嫌な相手を消すことも陥っている苦境から逃れることもできないと解ると、自分の心を変えるしかないと気づき始め、瞑想に救いを求めるものです。情況は何も変わらなくても、自分の心や認知が変われば苦しみが乗り超えられるからです。苦を視るのは能力です。幸せなのだが、その幸福がいつの間にか色褪せて、輝きを失っていく無常の苦を観て修行に励む上根の人もいます。
  煩悩に耽ってゲスな生き方をしていると、刹那的な快感ホルモンが分泌されますが、なんとなく卑しい感じを覚えるものです。相手を打ち負かして勝利しても、心底から喜べない後味の悪さや、自分の小ささに嫌気が差したりします。人間として成長したい、きれいな心になりたい、悔いのない立派な生き方をしたい・・と思うと、瞑想のヤル気が出るでしょう。
  瞑想の修行は四頭の馬車馬に譬えられています。賢い知恵のある馬は、御者の振るう鞭の影がチラリと見えただけで走り出します。2番目の馬は、鞭の先端がお尻に微かに触れただけで走り出し、3番目の馬はビシリと打たれてから走り出します。最後の馬は、ドゥッカ()という名の鞭に思い切り叩きのめされても走り出さず打たれ続けるというのです。(笑)



Cさん:
  ノルマと思って、毎日最低10分だけでもヴィパッサナー瞑想をするようにしています。でも、最近精神的にかなりひどい状態で、思うように瞑想が出来ません。それでも毎日続けた方がいいのでしょうか。また今日は体調もすぐれなかったのですが、何とか瞑想会に参加しました。


アドバイス:
  たとえ内容が悪くても、毎日瞑想をした方がよいでしょう。何もしなければ、私たちは不善心所でいることが多いのです。嫌なことや不快なことは生存に関わるのでどうしても過敏に反応するし、その日あった嫌なことを思い出しながら電車を待っていたりすることが多いのです。嫌なことを考えていれば不善心所になるので、放置された心は自然に汚れていく傾向です。
  たとえサティがきちんと入らなくても、眠気に襲われ妄想に巻き込まれても、瞑想しようと頑張るだけで意味があります。不善心と戦い、今の状態を対象化し客観化しようとするだけでもネガティブなエネルギーは減衰しています。不善心に抗うエネルギーを出力しながら、瞑想にチャレンジしていることが素晴らしいし、現に不善心の力を弱めているのです。
  これが、内容が悪くても毎日瞑想を続けたほうがよい理由でもあります。スポーツも芸事も瞑想も、練習というものは上手くいかないからやるものであり、どの分野でも初心者がやる練習内容はひどいものです。でも、それが王道なのですから自信をもっておやりになってください。
  今日は体調もすぐれなかったのに、よく瞑想会にいらっしゃいましたね。素晴らしいことです。家でゴロゴロしていて自然にピカピカの善心所になることはまずありません。やはり瞑想会に行けば良かったかな・・と後悔系の不善心所になるかもしれません。ブッダのダンマの一端に触れ、内容が悪くても瞑想にチャレンジされるのは、一日の過ごし方としては最高です。人間の営みの中で最も崇高なのは瞑想である。どんな善行よりも価値があると言っている経典もあります。
  現象世界の全てのものは、秩序のある状態からグチャグチャの無秩序状態に向かっていく・・。この基本傾向をエントロピー増大と言います。人の心も、意識的にきれいにしていこう、浄らかにしていこうと努力しない限り、必ず汚れていくし、混沌とした無秩序状態に陥っていくものです。心が汚れてくれば、善いと分かっていても、もうそんなのは嫌で、もっと自分の心を汚すようなことばかりやりたくなってしまうものです。煩悩には人を奈落に引きずり込む恐ろしい力があり、欲も怒りも人を転落させて完全に破滅するまで勢いを増し最後に苦の壁に激突して止まるのがパターンです。
  不善心に巻き込まれてしまうと本当に大変で、コストがかかりますから、心がまだ健全なうちに危険回避する方策を練っておかなければなりません。一番は瞑想なのです。どんな日でも、内容が良くても悪くても、毎日10分以上は必ず瞑想をするとルール化するのが智慧と心得ましょう。自分一人では枯渇していきますから、定期的に外からの刺激が受けられるように瞑想会参加を定番化すると怠け心対策になります。今日は本当によく来られましたね。あるがままを観る瞑想ですから、調子が悪い時にはそのように瞑想なされればよいのです。マイペースで、ちょっとだけ頑張りましょう。


Dさん:
  10分がいかに難しいか、これが毎日ということになると、と思っています。

アドバイス:
  仰るとおり、たった10分の瞑想がなかなかできないものです。でも、ここに私の巧妙な仕掛けがあるのです。本当を言えば、瞑想時間が一日にたった10分間では、あまりにも短か過ぎるのです。しかしそれでもOK、ちゃんと瞑想が身につくし心が成長していきますよと言えるのは、10分間の瞑想時間を確保するためにどれほど生活を整えなければならないかを心得ているからです。
  修行時間そのものよりも、毎日の激務や人間関係に揉みくちゃにされながら瞑想する態勢を整えることに意味があるのです。お酒を飲めば瞑想はできないし、食べ過ぎても眠くてもダメ、疲れきっていてもダメだし激怒した直後も瞑想に相応しい時間帯ではありません。そうなると、かなり生き方を改めて生活全般を整えていかないと、たった10分の瞑想が毎日できないのです。
  ヴィパッサナー瞑想は心の清浄道であり、人生全体である。だからこの瞑想を続けていくと、煩悩路線だったこれまでの生き方を根本的に改めていくことになるのです。生き方や考え方を変えないで週末に2時間瞑想して普段は全然やらない人よりも、毎日10分派のほうが結果的に定着することを私はよく知っています。瞑想を毎日続けるのが難しいのは、生き方に関わるからです。大変ですが、心が変わり、生き方が変わり、人生の流れが変わっていき、その結果苦しみを寄せつけなくなるのです。がんばってください。



Eさん:
  瞑想時間はいつでも良いのですか。


アドバイス:
  理想的には、体調が良い時や頭が冴えている時に瞑想するように心がけると、同じ10分間の内容が格段に良くなります。体調を整えるためには普段から摂生し、心が乱れないようにきれいな生き方を心がけなければならないので自然に人生の流れが良くなっていくとも言えます。
  こんな方もいました。
  帰宅してからでは疲れきって瞑想の質が悪すぎると悩んでいた方が、会社の昼休みに一人で瞑想する場所を見つけてからというもの、瞑想も人生の流れも素晴らしく良くなったのです。お昼に良い瞑想ができると、午後の仕事のクオリティが上がり、人間関係のイライラも激減したといいます。
  ミャンマーの首都ヤンゴンの寺で修行している時、毎日会社帰りの男性が瞑想堂で1時間ぐらい瞑想していくのを日課にしていました。座相を見ると、なかなか良い瞑想をしている感じでしたね。時々何か体験されるとサヤドウの面談を受けていました。帰宅すると狭い家で小さな子供がビービー泣いていたりで瞑想ができない事情なのか・・などという妄想が浮かびました。
  絶好調の時間を瞑想に捧げる覚悟は、瞑想を第一に考えないと難しいでしょう。そんな気持ちにもなれない初心者はどうしたらよいでしょうか。
  答えは無理しないことです。あるがままの自分の立ち位置で瞑想していけばよいのです。レベルの高い良い瞑想をするためには、必要な条件を組み込んでいかなければなりません。条件が悪ければそこそこの瞑想しかできませんが、大丈夫です。内容が悪くても瞑想する習慣が確立されれば、必ず効果が検証できるし良い人生になっていくでしょう。20年以上瞑想を教えてきた経験知ですね。
  朝でも昼でも就寝前の布団の上でも、いつでもかまいません。毎日10分以上の瞑想ノルマを果たしていけば人生の流れが変わります。妄想に巻き込まれウトウトしても、瞑想内容がボロボロでも、清浄道の瞑想に取り組むことに価値があり、効果もあるのです。
  瞑想は人生全体です。五戒を守り、悪を避け善をなすきれいな生き方を目指していくので、人生苦が乗り超えられるのです。集中力を高めるのもサティを入れて客観視するのも、汚れた心を浄らかにしていくためです。大事なのは、心をきれいにしていく方向性を堅持することです。今は煩悩だらけで真っ黒でも、心の清浄道を一歩一歩進んでいくのですから必ずきれいになっていきます。心がきれいになるのと、人生苦から解放されるのは比例していますから、良い人生になっていきます。速歩で進む人もいれば、のんびり歩く人もいるでしょう。目指す方向が同じなのだから、いつか必ずゴールに到達していきます。
  毎日瞑想を続けるためには、モチベーションを維持することが大事です。常にダンマ系の刺激を受け取るように心がけることが秘訣です。ヤル気を高めてくれる最高の刺激は、良い瞑想体験です。ビッグな体験に限らず些細なことでも、例えば、なぜか妄想が出てこないでお腹や足の感覚が鮮明に感じられたり、妄想は出てくるけれども面白いようにサティが入り続けて楽しくなってきたり・・ささやかな瞑想体験がいちばんヤル気を高めてくれるものです。これといった体験がなければ、ブッダの本や瞑想の本を読み、動画を観たり朗読を聴いたり、瞑想をしている法友と瞑想について話すだけでも仲間意識がヤル気につながります。どうぞ良い人生のために瞑想を続けてください。(文責:編集部)

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